改造マリオ大量削除と著作権法「教育」

改造マリオ動画が大量削除された事件についても、ほぼ状況が把握された。改造マリオという、とんでもなく面白いものが滅ぼされたことには、私も怒りを覚えているのだが、今回書くのは、私が怒りを覚えている理由ではない。
今回の事件のような、著作権法で認められた権利の過酷なまでの厳格な行使は、著作権法教育としてはこの上なく効果的な方法なのではないか、ということだ。
法律というものは、意識しなくても普通に守ることができるか*1、守った方が効率がいいのがはっきりしているので*2、日常生活では、あまり意識することはない。*3
しかし、今回の事件は、明確に意識することなしに、いや、意識していても守ることが難しい*4現行の著作権法を、破ってしまった者に対して法がどのような対応を取ることができるかを、「文化圏の破壊」という過酷すぎる形で示してしまった。
2chでは、「任天堂死ね。氏ねじゃなく死ね」というような、激しい怒りのコメントが大量に書かれている。他の場所でも、任天堂に対して怒りを示している人は多い。
だが、任天堂の取った行動は、法的にはまったく何の問題もない。認められた権利をそのまま行使しただけだ。
つまり、問題は、任天堂ではなく、破壊行為を可能にしてしまう著作権法そのものにある。
任天堂に対する怒りが収まった時点で、もしくは、他の分野で活動している人は、自分たちもいつ同じような状況に陥るかわからないという恐怖を感じた時点で、著作権法を強く意識せざるを得ない。
「自らの自由が強く脅かされている」という切実な感覚を伴って、だ。
著作権法に対する理解が深まらないと考える方が不自然だろう。どんな啓蒙活動や教育よりも効果的なのは疑いない。

*1:「物を盗んではいけない」と言うことの理由を説明するのに「法律で禁止されてるから」という人がいるだろうか?

*2:幹線道路の交差点で誰も信号守らなかったら、あっという間に大渋滞だろう

*3:いい法律とは、文化的に自然な感覚に逆らわないものだ

*4:改造マリオの公開が著作権法に違反する行為であることを知らないUp者はいないだろう。知っていてもなお公開したいという欲求に勝てないという意味で、「守るのが難しい」のが著作権法の現状だ