『米光一成の「読み」のレッスン』行ってきた

自分の能力が、自分の目的の実現に対して十分でないなら、何らかの対策が必要だ。
私の本の読み方は、相当変だ。小説のように、物語のあるものなら、必ず、登場人物の誰かに感情移入する。物語のない、「事実」の記述なら、そのまま丸呑みしてしまう。
批判的な読み方や、一貫した視点などは、まったくと言っていいほどない。
私が理性的な読み方をしていないのは、私が日頃動画レビュー記事を書く時に、正常な範囲とは思えないほど、集中的に、過剰すぎるほどの圧倒的な密度で、際限なく強調表現を繰り返し続けることからも、容易に伺うことができるだろう。
そのこと自体は別に自由なのだが、その結果が、いつも極端にワンパターンな表現になっているのは、回避する必要がある。
自分の読み方は、自分の特徴の源泉なので、崩すつもりはないが、他の人がどんな読み方をしていて、自分の読み方はどういう構造をしていて、何に強くて何に弱いかは、知っておかないと、特長を活かすことも難しい。
まずは、自分の読み方を知るところからだ。
と書くと、何のことか全然わからないよな。