「自治」への反発感の構造

で、さっきのわかむらPの動画なのだが、誤配信されたMA曲の素材を使ってある。
そのことに関して、「自治」と称して批判コメントを書きこんでいる人がいた。
それを読んでいて、なぜ、自治を称するコメントに対して否定的な感覚を覚えるのかに気づいた。自治と言いながら、実際には、発言者の意向だけしか反映されていないからだ。
そもそも、だれも、自治権など持っていない。アップされた動画に対する管理権限を持っているのは、わかむらPとニコニコ動画だし、素材に対して権利を持っているのは、バンダイナムコゲームズとAira Mitsuki(および作詞作曲者など)だ。
自治を称してよいなら、「自治を称して素材の利用を批判するものは、実力で排除されるべき」と主張するのも自由だろう。そんな筋が通るわけがないよな。主張するのは自由だけど、良くて黙殺、普通は批判されるだけだ。
長らく、自治を称する発言に対する反発感の構造がわからなかったのだが、やっとわかった。