道具の力と作者の力

これは、cocoonPへの公開私信だ。
私はPではない(厳密に言えば、私もMAD動画を上げてはいる)が、他人の作った道具を利用して、何かを作っている人間であると言うことには変わりはない。
そうである以上、私にとっても、道具の力が作者の力であると理解されて、作者の本来の能力を超えて高く評価されてしまっている状況に対し、漠然とした、言葉にしづらい不快な感覚を抱くことは、全く想像できないことではないとは思う。
だが、純粋な一利用者の感覚からすれば、作品の質がすべてであって、道具の力か作者の力か、どちらが作品の質を高めたかは問題ではない。
そして、cocoonPなら、同じ道具を用いて、はるかに効果的な演出を作り上げる力を持っているとも思う。
なら、その力を限界まで駆使して、道具の力と作者の力を足した、本当の意味で凄いと思わせる動画を作ることこそが、この状況を変えるもっとも適切な方法ではないか。
道具の力+わずかしかない人と、道具の力+圧倒的な経験と実力がある人間なら、後者の方が強いのはほぼ間違いない。厨と言われようと、気にすることなく、あらゆる手段を用いて、可能性の限界に挑むのが一番だと私は考える。
それを続けていれば、いずれは道具の力があるのが当たり前になるだろう。それは、確かに道具の力に頼ることが難しい、平均的な作者にとっては災いだが、その点に関しては、道具の需要の高まりの影響がカバーしてくれると思う。
マチュアである以上、道具の力に頼ることを拒絶し、ひたすら自らの力のみで作り出すことにこだわるのは当然自由だ。だが、評価する側もアマチュアである以上、自らの感覚だけで評価することもまた同じように自由だと言うことを忘れてはいけない。
同じ道具なら、よりすぐれた能力を持つ人が扱えば、さらによいものを作り出せるはずだ。そして、私が見たいのは、こだわりよりも、ただひたすらに面白い動画だ。